<城山熊野神社>
志村三丁目駅から徒歩10分前後でしょうか。
ただ坂道があります。
生憎、例祭の準備で正門から入れませんでした。
<拝殿>
御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと
伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)
志村城跡
康正2年(1456)に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に
入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、
赤塚城の前衛拠点とした。大永4年(1524)に
北条氏綱に攻められて落城。
熊野神社は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳城
に建てられているそうです。
<絵馬殿>
参拝時は扉が開いていましたが、後で撮影した際、
いつの間にか扉が閉じられてました。
ここでは江戸時代中期から大正期にかけて、
絵馬82枚、扁額9枚、寄進札4枚が現在
奉納されているとか。
境内社:(八社)
大山阿夫利神社、榛名神社、御嶽神社、天照皇大神宮
八幡神社、桃花稲荷神社、溜下稲荷神社、石神社
<招魂社>
クロアゲハ2頭が鳥居の奥で舞っていました。
なるほど、戦没者を祀られているので、
しっかり癒しのワークをしてください、
ということですね。
(ちなみにアゲハは霊的な動物で、
死者に関係している場合があります)
ワーク後に、一頭のクロアゲハが目の前
までやって来て通り過ぎました。
「ご苦労さん」って言われた感じでした(;''∀'')
こちらの神社へ伺う途中に公園があり、
以前勤めていた会社の通り道だったので
よく寄り道していました。
5年振りの入園。
相変わらずカルガモがいました。
<カルガモの親子>
ここの池で毎年カルガモの子供が生まれて
いたので、一か月間観察していたことがあります。
懐かしいです。
通勤途中、ここにいるノラちゃんが、以前
自宅にいた猫とよく似ていたので、近くの
住民のおじさん達と加わり、毎日お水を
取り替えたり、おやつのフードをあげたり
して一緒に自然とお世話をするようになり
ました。
そういえば、つい一昨日の夜、何故か
その猫ちゃんの事を思い出していました。
名前は「ちび」。
まだ、元気でいるかな。
当時の光景が懐かしく蘇って来ました。
4年位経過した後、転職した私は勤務地も
遠くなり、実家の猫の老衰&腎臓病の世話
もあった為、それ以来こちらへ伺うことも
なくなりました。
「ちび」は多くの人から可愛がられていた
ので、安心してお別れすることができました。
昼間だからいないかな、そう思いながら
ふと、公園の植え込みが目に入り、
そうだ、確かこの植え込み辺りにいたような・・・
探しながら植え込みの奥に目を向けた時、
あるモノが飛び込んで来ました。
「ちび」のお墓でした。
((´;ω;`)・・・)
それまで頭の中で楽し気におしゃべり
していた言葉がピタリと沈黙・・・。
もう亡くなっているのではという
予想も正直ありました。
けれども事実を目の当たりにして
ショック。
ノラちゃんだと4年が寿命と言われて
いるので、長生きした方だと思います。
沢山の方に愛されていることが、よく
分かるお墓でした。
「ちび」は人だけでなく、他の猫にも
優しかったし、私を見かけると子犬の
ように駆け寄って来て、その愛らしい姿
が溢れ出てしまい、私は我が子に会った
ように暫く「ちび」へ語りかけていました。
(みんなを愛してくれてありがとう)
改めて「ちび」へのお礼と、ちびを見守り
安らぎを与えてくれている、この公園へ愛
のエネルギーを送らせて頂きました。
亡くなってからも、この場所からは変わらぬ
「ちび」の愛が感じられました。