Blue Wave

不思議な世界・スピリチュアルなお話

スピリチュアルな世界はファンタジー。 そこに生命の真実があります

熊野(4)一遍上人(いっぺんしょうにん)

一遍上人

一遍上人(いっぺんしょうにん)は、

<幼少期~成人>

1237年、伊予(愛媛県松山市)で生まれ、10歳で母
と死に
分かれる。父の勧めで出家し12年間浄土宗の
寺々で修
行を積む。
父の死で故郷に帰り、半僧半俗の生活を送るが、
戚のいざこざで襲撃事件が起き、故郷を離れる。

最初に訪れたのは信州の善光寺で「二河白道にがびゃくどうず」を
写して自分の本尊とされた。一遍上人はこの善光寺
での参籠によって、人々への化益を強く決心する。

<遊行へ>
故郷へ戻り、三年間の参籠の間に「十一不二頌じゅういちふにじゅ
を感得。その後、家や土地など一切を捨てた遊行の
旅へ。
学問や理論ではなく、余計な考えは捨て、南無阿弥
陀仏と声を出してとなえることを人々に勧め、念仏
勧進を行う。一遍上人は遊行で出会った人々に
「南無阿弥陀佛」と書かれた念仏札を配った
ふだくばり結縁すること、これが「賦算ふさん」。

<熊野での出来事>

熊野山中で出会った一人の僧に「信心を起こして
南無阿弥陀仏と唱え、この札をお受けなさい。」
と札を渡しましたが、その僧は、「いま一念の
信心が起こりません。受ければ、嘘になってしま
います。」と言って受け取りません。
「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受
けにならないのですか。」と尋ねると「経典の教
えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こら
ないのです。」と答えました。 
念仏札を拒否されたことに一遍はショックを受け
ますが、僧の言葉は理にかなっています。

このことに苦悩し熊野本宮大社証誠殿の御前で

啓示を仰がれます。すると、夢の中に熊野権現

阿弥陀如来)が現れ

「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに
決定されていることなのです。あなたは信不信
を選ばず、浄不浄を嫌わず、人を選ぶことなく
その札を配らなければなりません。」
このご神託により「信心の有無や心の浄らかさに
とらわれず結縁を勧める」を説いて全国を回ります。

踊り念仏>
九州を出ると、四国、中国地方、京都、信州、関
東、東北へと一処不住で回られ、鎌倉へ。
鎌倉では禅宗の寺院が北条氏の保護を受けて盛ん
になるのをみて、各宗の高僧たちは鎌倉での布教
を試みたが、仕事と食料を求める浮浪の人々も数
多く集まって来た。

一遍上人も多くの民衆への念仏勧進を願い、鎌倉
に入ろうとしたところ、こぶくろ坂で警護の武士
が行く手を遮った。浮浪者の取り締まりを厳しく
していた鎌倉に、乞食のような恰好をした僧尼の
一団を入れる訳にはいかなかった。

武士に棒で叩かれながらも一遍上人は、「人々に
念仏を勧めて歩くことが私の命である。このよう
に制止されれば、どこへ行けばいいというのか。
いっそこの場で命を終えよう。」
一遍上人衆生化益への強い意志と気迫に圧倒さ
れたのか、武士は鎌倉の外では布教が禁止されて
いないと告げます。
一遍上人は片瀬(神奈川県藤沢市)へ向かい、
その後、田切の里(現在の佐久市臼田)で
南無阿弥陀仏”の六字名号を称えながら阿弥陀仏
に救われるという約束があることを信じて、その喜
びのあまり自然に体が踊りだした、「踊り念仏」
を修める。
太鼓や鐘などを打ち鳴らし、踊りながら念仏や
教えを唱えるものとなり、これが現在の盆踊りや
歌舞伎踊りなどにも大きな影響を与えている。

京都では一遍上人の念仏札を求め、その数は16年間
で25万1724人にのぼったとされている。


一遍上人さんを存じ上げてなかったんで
すが、踊念仏の太鼓や鐘などを打ち鳴
らし、踊りながら念仏や教えを唱えるも
のとは、なかなか理にかなってるなと思
いました。

というのがとても大事でこの音の周波
数が人々の肉体、精神、エネルギーフィ
ールドを整え、活性化させることで仏様
や神様と繋がりやすくしているんですね。
太鼓や鐘が無かったとしても、口から
発せられる言霊、特に日本語は宇宙に響
きやすい愛が秘められたバイブレーショ
ンがある為、古くからこの言霊を使って
唱えることで、
神々とのパイプを強くし
ていたんです。


南無阿弥陀仏とは、永遠の命をもつ阿弥
陀仏様に帰依する(お任せする)いう意味
で今風に言えば、宇宙の流れに逆らわない
でいるとなるように成り、誰もが救われる
ということです。
念仏とか真言は私的には最初はあまり信じ
ていなかったんですが、一種の呪術みたい
なもので正しく使うことでその効力を得ら
れると実感しています。