3次は文殊楼へ向かいます。
結構急勾配な階段だな~💦
なんだか可愛らしい楼門です。
<文殊楼(もんじゅろう)>
根本中堂の東側に位置する文殊楼。
上層に文殊菩薩が安置されているそうです。
拝見できません。
獅子の背中の上にある蓮の花を象った上
に文殊菩薩が乗っています。
文殊楼は7回も火災に遭っているそうです。
慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂
に倣って創建したものですが、寛文8年
(1668)に焼け、その後建てられたました。
通りで中国っぽい造りだと思いました。
文殊楼は、延暦寺における重要な修行を行
う仏堂として、また延暦寺の総門として幾度
も再建された重要性が窺えました。
くるりと回ってみると、
<宝篋印塔(ほうきょういんとう)>
こちらの塔が東西南北に梵字が刻まれています。
それぞれの如来を配置し密教を表しています。
如来はかなり高度な宇宙存在で
リラ星人(琴座)と言われています。
如来・菩薩に興味がある方はリラ星
と関係があるでしょう。
文殊楼の左手に小高い丘があります。
<清海鎮大使張保皐碑>
なにやらあまり見慣れない生き物の上
に石碑が立っています。
稀に中国系のお墓でも見られるこの
生き物は、中国の伝説の贔屓(ひいき)
と言います。
この贔屓は、龍が生んだ9頭の神獣・竜生
九子の一つで亀に似ています。
重きを負うことを好む為、古来石柱や石碑
の土台の装飾に用いられることが多かった
云われています。
別名、龍亀(ロングイ)とも言いますが、
龍亀(ロングイ)の方が顔は龍そっくりで
贔屓の方はどちらかというと亀や獅子に
近い顔ですね。
<海上王:張保皐とは>
9世紀に当時の新羅、日本、唐の海運秩序を
治めた韓国莞島の出身の張保皐。
唐に渡って軍人として活躍した後、東アジア
で横行した海賊に憤慨して帰国すると莞島に
清海鎮を設置して海賊を掃討、
アラビア、ペルシャへと航路を開いて「海上王」
と呼ばれた。
延暦寺の円仁が838年(承和五)に入唐し、
顕密二教を学んだ際に支援、五台山や長安の
巡礼を実現させるなど円仁の大恩人とされている。
https://www.ct-net.com/nishioumi/02-03.shtml(参考)
山道を下って行くと赤いお社の神社がありました。
<星峯稲荷社>
御祭神:荼枳尼天(だきにてん)
星という名前が付くだけにお祈り
していると、星のような光が沢山
見えてきました。
この周辺は精霊がいそうな雰囲気でし
た。下の方に行けばいるのかもしれま
せんが立入禁止で残念。
<荼枳尼天とは>
インドのヒンドゥー教の女神。
人の死を半年前に知り、死の直後に心臓
をとって食べるという恐ろしい神様でした。
後に仏教に帰依して仏法を守る神様となり、
日本においては稲荷信仰の神様としても登
場します。
鬼子母神も人の子を食らう悪鬼でした
が仏教に帰依して良い神様になり
ましたね。
この先に総持坊がありますが、災害避難
用の道路として封鎖されています。
ここには何があるのかというと、正面に
妖怪みたいなものが描かれた額が飾られ
ているんですよ。
ここは比叡山の3大魔所の1つ。
<一眼一足法師>
一本足で一つ目の妖怪。
これは妖怪ではなく元三大師の高弟
(慈忍和尚)です。
「じにんかしょう」と読みます。
第19代天台座主を務めました。
慈忍和尚が亡くなってから、夜な夜な
怠けている僧を見つけて戒めていたそ
うです。
自らも修行三昧で戒律が厳しかったこ
ともありますが、比叡山を守ろうとす
る強い意志が見受けられますね。
玄関の脇には慈忍和尚が山を回る際に
使った杖が立てかけられているそうです。
自らが妖怪に変じるということは、そも
そもこの比叡山には魔物が多かったんで
しょう。そして妖怪にも勝る超人的な
能力があったことが窺えます。
チベットの僧侶達が高速で移動できたり、
高く飛び上がることができたといいます
が、おそらく比叡山の高僧達もそうした
レベルを持ち合わせていたようと思われ
ます。
この1つ目の摩訶不思議伝説ウォーク
スタンプラリーは阿弥陀仏堂にあります。
続く。