【王子稲荷神社】
御祭神:
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
・宇気母智之神(うけもちのかみ)
・和久産巣日神(わくむすびのかみ)
三神は同一神とされています。
王子神社から約徒歩5分。
こちらも場所が分からず神門からでは
なかったのですが、ちょうど神門は閉鎖
されていて、後から調べた所神社付属の
幼稚園が近くにある為、平日はクローズ
しているとの事でした。
境内に沢山の自転車が駐輪していたのは
そのせいだったのかと・・・。
【本殿】
すっかり曇天空となってしまいました。
拝殿参拝後の右奥に赤い鳥居があり、そちらを
潜ると社殿が。(後で本殿だと分かりました)
しかし天候のせいか寒々しさを感じました。
こちらで大きな冠を付けた女神様が現れました。
光のエネルギーが弱く感じられたので、そちら
のワークをさせて頂きました。
赤い鳥居の先には亀山稲荷神社・嬉野森稲荷神社・
北村稲荷神社、そして左横には・・・
【重軽石(おもかるいし)のあるお稲荷様】
持ち上げた際に重く感じるか軽く感じる
かで願い事の成就を占います。
軽く感じた方が願いが叶うという事です。
あの有名な「京都伏見稲荷」にもありま
した御石様ですが、昨年参拝した際は、
凄い長蛇の列で、もっと奥の社殿にあった
小さい御石様で占ったわけですが、私と
姉以外は他に参拝客がいなかった為、
(そんな筈はない、もう一回!)と
ふたりで何度もやっていました(笑)
で、こちらはどうでしょう!?
願いを心に思い浮かべ、いざ「御石様」を
持ち上げてみました!
(んっ・・・!!!)
びくともしませんでしたー( ̄▽ ̄;)!!ガーン
っいうか、重過ぎじゃね!?
こんなん持ち上がらんわ!!!
そこで目についたのが斜め左上の
小さい「御石様」!
(これならいける!)Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
心に願いをときめかせながら、いざ
持ち上げたら、予想以上に楽勝で
持ち上がりました(o^∇^o)ノ
もう一度大きい「御石様」でチャレンジ
しようとしたら別の参拝客が来られた
ので断念し、更に階段の上にはまだ
稲荷神社があった為、ひとまずそちらへ
向かうことに。
上から下を見下ろした時、先程の参拝
客が「御石様」を持ち上げていたよう
で(こんなん無理やろ!)という声が
聞こえてきて深く頷いた私でした。
さて、こちらは御穴様の社殿で、ここに
狐の住処があったというお穴様があります。
ご挨拶していると、菩薩様のような方が
現われました。
やや暗い表情でしたが・・・。
その理由は後で分かったのですが、
ここにいた不浄の存在をお土産として
(仕事あげますよって感じで)たんまり
渡されて、この後3日程大変でした(T◇T)
一通りエネルギーワークをさせて頂いた
ので少し光が入りました。参拝客も私
ひとりで殺風景でしたが、後から数名
来られるようになり、今日の所は
ひとまず完了です。
また伺ってチャレンジしたいと思います
(*^ー^*)
<御由緒>
康平年間(1058~1065年)には源頼義が
「関東稲荷総司」として崇敬。
この関東とは陸奥国まで含む「東国三十三国」
であり、当社の格式が伺い知れる。
1180(治承4)年には源頼朝が源義家の腹巻
(鎧の一種)や薙刀等を奉納したとされ、また後
の当地の領主、小田原北条氏の崇敬も篤かったと。
江戸期においては近隣の王子神社とともに徳川
将軍家祈願所の一つに指定され、1634(寛永11)年、
1703(元禄16)年、と幕府によるたびたびの社殿
造営があり、現社殿は1822(文政5)年十一代将軍
家斉により寄進されたものである。
第二次大戦中の1945(昭和20)年4月13日、空襲
により本殿は大破し、1960(昭和35)年に再建。
当社は有名な落語「王子の狐」の舞台にもなって
いるほか、大晦日から正月にかけて行われる
「王子・狐の行列」や初午祭凧市の祭事には
氏子地域外からも多くの参詣者を集める。
<耳より情報>
毎年2月の初午の日には「凧市」が開催。
江戸時代に火事を防ぐ為、風が大火になら
ないよう風を切って上る凧を火事除けのお
守りに民衆が王子稲荷神社の奴凧を
「火防の凧(ひぶせのたこ)」としたのが
始まりだとか。
様々な種類の凧が販売され、出店も並んで
賑わうそうです。
<地図>
最寄駅:JR京浜東北線 王子駅
東京メトロ南北線 王子駅
都電荒川線 王子駅前停留場
王子駅から徒歩5分