高山駅から車で約20分。
の直ぐ横にある日輪神社。
この鳥居のバックにはちょうど小高い
ピラミッド型の山が覗いています。
なんとも神秘性がある神社です。
階段の前まで到着。
「参拝させて頂きます。
よろしいでしょうか。」と入山の承諾
を得てから足を進めました。
山全体が神様の領域であり、通常感じ
ないような厳格さがありました。
勿論どちらの神社もそうですけど、
特に山の場合は土着の神々や精霊も多い
為、許しを得てから入りましょう。
人のお家へ訪問する時のように、玄関
を開けてずかずかと入る人はいないです
よね。一の鳥居で既に挨拶はしていまし
たが、1つ1つ丁寧に行うことが神々か
ら快く迎え入れて頂けるポイントにもな
ります。
見た目は小高い丘のようなので、直ぐ
に拝殿に着くのかと思っていたら、森
が深く意外と急勾配。
登山道のようになっていました。
しかし10分もかからずやっと拝殿が見え
て来ました。
到着しました~!
拝殿は古く、こじんまりとしていて、誰
もいないようです。
荘厳な雰囲気が漂ってます・・・。
拝殿へ近づいた数メートル手前で足が止
まりました。強烈な結界が張られています!!
これまで参拝した神社の中でも、こんな
に強く感じたのは初めてかも💦
結構守られているようですね。
まずは森全体にエネルギーワークを行い
ました。
炎天下でしたがワーク後はスッキリとし
て気持ちが良かったです。
拝殿の正面へ来た時、「中に入れ」と言
われた気がしたので、引き戸を引くと開
きました。
それまで誰かが会話していたような感覚
がふとありましたが、シーンと静かでした。
ご挨拶をしてワークを行う際に、何がいい
かなと思った時、すぐに「太陽のレイ」の
ワークが思い浮かべられ、そちらをご奉納
することに。
後で堂内を見回した時、壁に天照皇大御神
の絵があったのでなるほど、と思いました。
本殿を出る時に「また直ぐ引き返すよ。」
と言われた気がして、一瞬(えっ??)と
思いましたが、そのまま外へ。
森はセミや小鳥達の合唱が響き、おそらく
普通の感覚だとこの炎天下の中、うるさい
とか暑苦しいとか思うのかも知れませんが
、とても美しく華やかに聴こえました。
次元が低いと只の騒音にしか聞こえません
ので、自分自身の波動を上げることで
高次元と繋がり高次の領域に入れば騒音
も雑音も「美しい音」に変わるのです。
暫く本殿を眺めて長い参道を降り始めた
時、帽子が無いことが気付き、通った所
を探してみましたがどこにも無し・・。
参拝中はあったから、まさか拝殿の中!?
ハッとして引き返しました。
(ああ、このことだったのか。)
本殿へ入ると直ぐに帽子を見つけました。
それも壁に飾られた天照皇大御神の
前に何故か置かれたようにありました。
どうやら呼び戻されたようです。
何かメッセージがあるようでしたが、
よく解析できず、厳格すぎてちょっと
怖かったのもありまして、外へ出てし
まいました(笑)
その後拝殿を出て、何故か自分でも分
かりませんがずっと右側を見ていました。
(そっちの方に何かあるのかな。)
確かにこちら方面の裏辺りが気になった
のですが、蚊やスズメバチがいそうだった
ので敢えて森の中へは入らず・・・。
後で分かったことですが、太陽石らしき
岩がこの裏の方にあるっぽく、もしかし
たら天照皇大御神はそこを案内したかっ
たのかもしれません。
また伺いたい素晴らしい神社でした。
摂末社祭神
倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
火武主比大神(ほむすびのおおかみ)
奥津日子大神( おくつひこのおおかみ)
奥津比女大神(おくつひめのおおかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
創祀未詳。
当地山頂は、乗鞍岳から昇る太陽を神と崇
めて拝所を聖地とし、狩猟をかたく禁じた。
<太古のピラミッドの謎>
この山の形が綺麗な円錐形のピラミッド
に似ていることに注目した酒井勝軍等が
調査をした結果、太陽石が発見され、
どこを掘っても硅石まじりの川石が出て
来たことから、自然の地形を利用した飛
騨で最初に造られた半人工ピラミッド
(太陽神殿)と称され広まりました。
この説を更に裏付けたのは『竹内文書』。
地球に神々が降臨して最初に神宮を建て
た場所が“日球国”の位山と明記されてお
り、“日球=飛騨”が世界最初の文明発祥
の地とされています。
さらにそこに降臨した天皇は、世界を16
の方位に分けて(これが天皇家の十六葉
菊紋章)統治したとあり、ここからエネ
ルギーが放射状に流れているとも言われ
ています。
「ピラミッド」と判定しています。
また同年10月には鳥谷幡山氏が青森県青
ミッド大石神を「発見」し、翌年秋に
酒井勝軍等が飛騨高山のピラミッドを
発見。
ピラミッド発見ラッシュというのも
竹内文書が影響しているのでしょう。
発見された太陽石は、列石の一部である
と共に、古代の人が刻む長方型の列穴が
、30数個あり後代の者が穿ったもので
はないこと、巨石は太古住民の遺跡であ
る、と学会に発表されています。
但し、山頂近くに配置された筈の「太陽
石」は既に無く、それを割ろうとした鏨
の跡が付いており、何らかの意図的な破
壊を実行しようとした痕跡があります。
(一部参考:日本伝承大鑑、Wikipediaより)