Blue Wave

不思議な世界・スピリチュアルなお話

スピリチュアルな世界はファンタジー。 そこに生命の真実があります

目黒不動尊:ライトワーク(後編)

 

目黒不動尊

引き続き「目黒不動尊」にて。

大日如来のライトワークを終えた後、

ふと観音像と阿弥陀仏像が頭の中に

現れました。

もしかしたらこちらにいらっしゃる

のかな?

 

取敢えず順番に回ってみることに。

広い境内を見下ろしてみると

右手に畑がありました。

私の大好きな「サツマイモ畑」でした。

関東にサツマイモを広めた青木昆陽(儒

学者/蘭学者)のお墓が裏の墓地にある

そうです。

 

青木昆陽は、1732年享保の飢饉後にその

対策として、土地が痩せていても、初心

者でも育てやすいサツマイモの種イモを

薩摩から取り寄せて、各地に配布し栽培

方法を教えました。

人々からは甘藷かんしょ(サツマイモ)

先生と呼ばれたそうです。

護衛不動

虚空菩薩

子守延命地蔵菩薩、不動明王の眷属、

八大童子の築山もありました。

愛染明王を含め、新しく作られたもの

も多そうでしたね。

 

御朱印を頂きに社務所の方へ行った際、

左手にスズメたちが飛び回っていました。

お堂の階段で遊んでいたんですが、近づ

いてよくみると「観音堂

こちらの観音様が呼ばれていたんですね。

観音堂

早速ワークをさせて頂きました。
「もっとサポートしますよ」と仰って

頂けて嬉しかったです。

 

御朱印を頂いた後、そういえば阿弥陀

仏像もあるのでは?

と思い出し、ふと振り返ると真後ろに

阿弥陀堂があり、扉が開いている隙間

から阿弥陀仏像が見えました。

ワークをすると線香の匂いが急に強く

なり、とてもリラックスできました。

 

この後は逆サイドへ移動。

勢至堂

 

こちらもあじさいが綺麗でした。

(6月上旬の訪問です)

 

「あれ?本居長世」って誰だろう??

ふと足が止まり。本居宣長と関係がある

のかな~。と黒い石碑らしきものを見る

と「十五夜お月さん」の楽譜が刻まれて

いました。

 

(おや!?)

実は、数日前に最近料理で団子を作る

為の「だんご粉」を買ったところでした。

ちょうどその時、

団子と言えば『十五夜お月さん』の歌が

頭に浮かび、どんな歌だったのか、最後の

方しか覚えてないなと思っていた事を

思い出しました。

 

<「十五夜お月さん」とは>

1年のうちに空気が澄んでもっとも

美しい満月が見られる。「中秋の名月

のこと。(大体9月15日頃で毎年必ず15日が

満月になるわけではないのですが。)

江戸時代に秋の収穫に感謝し、月見団子を

供える風習が広がったそうです。

しかしこの歌詞を調べてみたら、とても

哀しい歌でした。

 

作詞:野口雨情、作曲:本居長世

 

十五夜お月さん ごきげんさん
ばあやは おいとま とりました

十五夜お月さん 妹は
田舎へ もられてゆきました

十五夜お月さん かかさんに
もいちど わたしは逢いたいな

 

ちなみに「本居長世」は本居宣長の子孫

で、この近くに住んでいたそうです。

他に「からす なぜ なくの からすは

やまに~」で有名な「七つの子」や「赤い

靴」や「青い目の人形」等数々の動揺をv

手がけています。

 

今回初めて伺った目黒不動尊ですが、お

寺(宗派)の色が濃く出ている印象でした。

私達人間は誰しも「煩悩(欲望)」があ

ります。不動明王は人々の心を乱す煩悩

を剣で斬り、背中の火炎で焼き払い、私

達を悟りへと導きます。

気になる方はこちらに限らず、お近くの

不動尊不動明王にサポートして頂くと

良いでしょう。

 

<目黒のさんま(めぐろのさんま)>

こちらへ伺う際に朝からさんまを焼いて

いるお店があり、

「なんで!?さんま??」とその時思った

んですが、直ぐに(ああ、そうか『目黒

のさんまか~』と気付きました。

有名な落語ですよね。

 

『目黒のさんま』は落語の噺の一つで、

低級な下魚として扱われていたさんまを

、庶民的な流儀で無造作に調理すると美

味だが、丁寧に調理すると不味い、とい

う滑稽噺。

 

江戸五色不動について>

江戸時代、三代将軍徳川家光は江戸の町

を護るため、目白・目黒・目赤・目青・

目黄の五不動を江戸の5ヶ所に安置しました。

 

この由来は、江戸時代に五眼不動といわれ

五方角(東・西・南・北・中央)を色で示

すもの。

目黒 瀧泉寺    東海道  目黒区
目青 教学院         世田谷区
目赤 南谷寺    中山道  文京区 
目黄 永久寺    水戸街道 台東区
目黄 最勝寺    日光街道 江戸川区
目白 金乗院    甲州街道 豊島区

 

江戸府内を中心とした五街道沿い(又

は近く)にあることから、徳川の時代

江戸城を守るために置かれたといわ

れていますが、実際にそうだったんだ

と思います。

青色が無いですが、江戸城自体を「青」

としていたことが関係しているのかも。

特に天台宗の勢力が大きかったよう

ですね。

結構、江戸城の守りは強固だったと言え

ます。