人を殺め、滝行では死んで命を復活させられ
たり、源頼朝との出会いなど、数奇な運命を
辿る文覚上人の逸話をご紹介します。
文覚上人(もんがくしょうにん)
出家前は「遠藤盛遠」(えんどうもりとお)
後白河法皇や源頼朝に重用された、平安時代後期
から鎌倉時代前期にかけての僧侶で、「神護寺」
の興隆に力を尽くした人物。
<袈裟と盛遠>
遠藤盛遠は、上皇が居住する院御所の警備を担う北面
の武士として鳥羽天皇の皇女・統子内親王に仕えていた。
同じ北面武士で従兄弟であった「源渡」の妻「袈裟御前」
(けさごぜん)に一目惚れしたことで最悪の事態が。
彼女に「言うことを聞かなければ、お前の母を殺す」
と脅して強引に迫ったという。困り果てた袈裟御前は、
一計を案じて「私は夫ある身。それほどまでにお慕い
くださるなら、夫を亡き者にしてください」と言い、
「夫の寝所に忍び込んで、夫を討ってください」と
持ちかけた。そして盛遠に渡が眠る位置を教えた。
深夜、渡の寝所に忍び込んだ盛遠。
刀を振り一太刀で渡の首を斬り落とした。
しかし灯りで転がったその首をでみると、なんと
袈裟御前のものだった。
袈裟御前は己の貞操を守るため、盛遠に嘘を教え、夫の
身代わりとなったのだ。
この話は本当かどうか定かではないが、芥川 龍之介の
小説や歌舞伎でも有名ですね。
<那智での荒行>
盛遠は自分の罪を悔やみ出家し文覚と改め、那智の滝で
荒行に専念します。
那智滝の下流に文覚が修行をしたという「文覚の滝」
が存在した。
*現在は台風12号による大雨で滝に巨岩が崩落し消滅。
滝壺に入って首のところまで浸かったまま数日。
何度か気を失いながらも耐え続けた挙句、とうとう息
が絶えてしまった。
その時、滝の上から不動明王の眷属、矜羯羅童子
(こんがらどうし)と、制多迦童子(せいたかどうし)
がやって来て助けられた。
その体を撫でると生きを吹き返したという。
それが2度も生還したというから正に奇跡。
そのシーンが描かれた浮世絵が有名👇
その後、「神護寺」の再興を後白河法皇に、
「神護寺に荘園を1箇所寄付してくださらぬ
うちは立ち去らぬ」と強引に迫り続けたことで、
ついには捕らえられて伊豆国へ流罪に。
伊勢国の安濃津から出航した後、遠江の天竜灘に
差し掛かったところで嵐に遭遇。
文覚が船の舳先に立って、「聖が乗る船に危害を
加えるとは何事か!」と大喝するや、すぐに波風
がおさまったという。
そして無事に着いた伊豆国では、同じく流罪され
た源頼朝と出会う。それから数年、
平家物語には、清盛が法王を幽閉したことに文覚
が憤慨。文覚上人が懐から取り出した頭蓋骨を源
頼朝の父「源義朝」の物と騙り、源頼朝に平家打
倒の挙兵を促したと記されている。
この浮世絵からすると、体形は割とゴツ
い印象。
鎌倉殿と13人でも記憶に新しい人物。
とても情熱的で自分の意志を貫く怖い
もの知らず。
自己中がやや目立って数奇な運命を辿る
わけですが、あの滝行は凄いですね。
<水行について>
私も一時期は雪が降る真冬でも暖房を付
けず、お風呂場では自分を清める為、
お水を何度かかぶる水行をやっていたこと
がありましたが、真冬の滝つぼの中とは
わけが違います。
命の危険も省みずそこまで没頭できる
信念の強さに感服します。
ちなみに自宅で水行を行うにしても、き
ちんと身体に問題ないか医師と相談して
行いましょう。
心臓麻痺や低体温症になる可能性がある
ので、必ず家族にも伝えておきます。
修験者で水行を行う際は御付の人やそれ
を指導する人が必ずいます。
肉体的な危険だけでなく、霊的には逆に
滝に落ちている邪気を拾ってしまうから
です。
ですから、滝行は生半可な気持ちではで
きないんですよね。